2017.09.04 (Mon)
怖い絵展と福寿♪
日曜日は、兵庫県立美術館の「怖い絵展」に行ってきました。
開場が10時でしたから、家から8時40分頃に家を出て歩いて行ったのですが、到着したのが丁度10時前
そしたら周辺の道路には、美術館駐車場に入れない車の行列
中は中で物凄い行列でした。
チケットを買うのに窓口で並ぶと更に遅れるので、前もってチケットショップで買ってあったのです。
案の定、チケット売り場は凄い行列
後は3階の入場口となるのですが、入場の行列だけで1階の会館入り口付近まで伸びてました。
この日は3階まで上がるのにエレベータは使えず階段で上がって行きます。
そしてやっと入場が出来たら、今度は音声ガイドを借りるのですが、これがまた凄い行列
ま、映画みたいに開始時間があるわけでもないので良いですが、よく並びました。
結局見れるようになったのは1時間程してからでした。
いよいよ見て回ろうとしたら物凄い人の集まりで絵が見れません^^;
係の人が「後ろは空いていますので、反対側から見て貰ってもかまいません」と案内
急いで一番見たい、「レディ・ジェーン・グレイの処刑」という絵に行き解説を聞きました。
偶然殆ど人が居なくて、一人この大きな絵の前に立って、吉田羊さんの解説を2回聞き直しました。

この絵なのですが、本当はもっと大きくていろんな人が描かれてるのです。
全体の絵はこちらです ⇒ レディ・ジェーン・グレイの処刑
漠然と見ると、なにかこの女性に訳がありそうな処刑シーンだとは思うのですが
それ以上の事が分かりません。
解説を聞いていくと、成程そういう訳があったのですね
そして本当に小さな指輪、言われなければ見つける事が出来ない位・・・なんで?
簡単に背景を説明しますので興味ある方は読んでみて下さい。
1554年のイギリス、王家に近いグレイ家の長女ジェーン(絵の主人公)は読書好きの少女で
幸せに暮らしていたのですが、近親の王室への実権争いに巻き込まれていくのです。
当時の王はヘンリー8世でしたが、病弱で危篤状態でした。
この時代、イギリスではキリスト教の旧教のカトリックと新教のプロテスタントが争っていたのです。
次に継承するのはカトリックの異母姉のメアリーでしたが、プロテスタントのグレイ家としては困るので
有力者のダドリーと組んで横取りを企てるのです。
15歳になったジェーンを呼んで、ダドリーの4男ギルフォードと結婚させ、王のヘンリー8世に
次期女王にジェーンを決めさせ、ギルフォードとの間に子供が出来たら王室を継承させる目論見でした。
ジェーンは、ギルフォードは評判の良くない人間だし、次期王女はメアリーのはずと反対するのですが
聞き入れられることなく無理やり結婚させられ女王継承を承認させられるのです。
(だから指輪が異様に小さかったのかもしれませんね)
次々と進む事に関して、ジェーンは次第にダドリーやギルフォードの企みが分かり怒りがこみ上げ
体調を崩していくのですが、状況が瞬く間に変わっていきます。
ギルフォードはメアリーを捕まえて反逆罪で処刑しようとしましたが、先に察知されて逃げられてしまい
その後、味方であるプロテスタントの貴族までもが、あまりにも強引なやり方に反発して、結果イギリスの
中央官庁が女王はメアリーだと宣言するのです。
これによりジェーンは女王の座を剥奪され9日間の女王で終わるのです。
そしてギルフォードとメアリーは逆に反逆罪で捕まり死刑を宣告されるのですが、メアリーは
ジェーンには野心もないし同情心から、カトリックに変われば恩赦で死刑を中止するといったのですが
メアリーは断ったのです。
なぜ?この時の心境はどうだったでしょう?
そして処刑の当日、夫のギルフォードは公開処刑で斬首され、荷車に首のない死体で
運ばれるのですが、その様子をジェーンは涙ながらに見ていたのです。
そして自分の番、非公開の斬首刑がこの絵なんです。
ジェーンは毅然とした態度で処刑台の階段を上って行き、最後の演説を行い
処刑人に「早く済ませて下さいね」といいながら、藁で敷かれた断頭台の前に立ちましたが
白い布で目隠しをした時、恐怖が襲ってきて、断頭台はどこ?、どうすればいいと不安がよぎるところで
聖職者が優しく手を導いてくれているところがこの絵なのです。
これが16歳の少女なのですよ
普通なら恐怖で騒ぎ暴れますよね
この絵を書いた人はポール・ドラローシュといって1834年、280年後に書ている訳ですから
見た事も無いのを、どう伝え聞いて書いたのでしょうね、不思議です。
画家というのは凄いですね、この少女がどんな思いだったのか、見る者が考えさせられるのです。
斬首って、今の時代無いと思うのですが
実際、その時の気持ちは複雑な思いがあったのでしょうね
来週の月曜日が神戸での最終日ですが、もし見に行かれる方がおられたら
ちょっと思い出して頂いて、絵を眺めてると違った風に見えるかもしれませんね
絵って面白いですね
決して書く事等出来ませんが、見るのは面白いです。
ここまで書いててまたもや思うのですが、平清盛と源頼朝との話に似てますね(またかいや・笑)
天皇家の争い、そして清盛が自分の娘、徳子を高倉天皇と結婚させ、その子を安徳天皇とさせた事
清盛は頼朝の留めを刺さず逃がしたために逆にやられてしまったことなど、歴史はよく似ていることが多いです。
見終わってからはお昼ご飯を食べて、またもや酒蔵の福寿へ

あれだけ怖い絵をみてから酒ですか(笑)

今日のおつまみは豚の舌
初めてかな?なかなか美味です。

そのシーンを想像しちゃダメですよ
恐くなるから^^;
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開場が10時でしたから、家から8時40分頃に家を出て歩いて行ったのですが、到着したのが丁度10時前
そしたら周辺の道路には、美術館駐車場に入れない車の行列
中は中で物凄い行列でした。
チケットを買うのに窓口で並ぶと更に遅れるので、前もってチケットショップで買ってあったのです。
案の定、チケット売り場は凄い行列
後は3階の入場口となるのですが、入場の行列だけで1階の会館入り口付近まで伸びてました。
この日は3階まで上がるのにエレベータは使えず階段で上がって行きます。
そしてやっと入場が出来たら、今度は音声ガイドを借りるのですが、これがまた凄い行列
ま、映画みたいに開始時間があるわけでもないので良いですが、よく並びました。
結局見れるようになったのは1時間程してからでした。
いよいよ見て回ろうとしたら物凄い人の集まりで絵が見れません^^;
係の人が「後ろは空いていますので、反対側から見て貰ってもかまいません」と案内
急いで一番見たい、「レディ・ジェーン・グレイの処刑」という絵に行き解説を聞きました。
偶然殆ど人が居なくて、一人この大きな絵の前に立って、吉田羊さんの解説を2回聞き直しました。

この絵なのですが、本当はもっと大きくていろんな人が描かれてるのです。
全体の絵はこちらです ⇒ レディ・ジェーン・グレイの処刑
漠然と見ると、なにかこの女性に訳がありそうな処刑シーンだとは思うのですが
それ以上の事が分かりません。
解説を聞いていくと、成程そういう訳があったのですね
そして本当に小さな指輪、言われなければ見つける事が出来ない位・・・なんで?
簡単に背景を説明しますので興味ある方は読んでみて下さい。
1554年のイギリス、王家に近いグレイ家の長女ジェーン(絵の主人公)は読書好きの少女で
幸せに暮らしていたのですが、近親の王室への実権争いに巻き込まれていくのです。
当時の王はヘンリー8世でしたが、病弱で危篤状態でした。
この時代、イギリスではキリスト教の旧教のカトリックと新教のプロテスタントが争っていたのです。
次に継承するのはカトリックの異母姉のメアリーでしたが、プロテスタントのグレイ家としては困るので
有力者のダドリーと組んで横取りを企てるのです。
15歳になったジェーンを呼んで、ダドリーの4男ギルフォードと結婚させ、王のヘンリー8世に
次期女王にジェーンを決めさせ、ギルフォードとの間に子供が出来たら王室を継承させる目論見でした。
ジェーンは、ギルフォードは評判の良くない人間だし、次期王女はメアリーのはずと反対するのですが
聞き入れられることなく無理やり結婚させられ女王継承を承認させられるのです。
(だから指輪が異様に小さかったのかもしれませんね)
次々と進む事に関して、ジェーンは次第にダドリーやギルフォードの企みが分かり怒りがこみ上げ
体調を崩していくのですが、状況が瞬く間に変わっていきます。
ギルフォードはメアリーを捕まえて反逆罪で処刑しようとしましたが、先に察知されて逃げられてしまい
その後、味方であるプロテスタントの貴族までもが、あまりにも強引なやり方に反発して、結果イギリスの
中央官庁が女王はメアリーだと宣言するのです。
これによりジェーンは女王の座を剥奪され9日間の女王で終わるのです。
そしてギルフォードとメアリーは逆に反逆罪で捕まり死刑を宣告されるのですが、メアリーは
ジェーンには野心もないし同情心から、カトリックに変われば恩赦で死刑を中止するといったのですが
メアリーは断ったのです。
なぜ?この時の心境はどうだったでしょう?
そして処刑の当日、夫のギルフォードは公開処刑で斬首され、荷車に首のない死体で
運ばれるのですが、その様子をジェーンは涙ながらに見ていたのです。
そして自分の番、非公開の斬首刑がこの絵なんです。
ジェーンは毅然とした態度で処刑台の階段を上って行き、最後の演説を行い
処刑人に「早く済ませて下さいね」といいながら、藁で敷かれた断頭台の前に立ちましたが
白い布で目隠しをした時、恐怖が襲ってきて、断頭台はどこ?、どうすればいいと不安がよぎるところで
聖職者が優しく手を導いてくれているところがこの絵なのです。
これが16歳の少女なのですよ
普通なら恐怖で騒ぎ暴れますよね
この絵を書いた人はポール・ドラローシュといって1834年、280年後に書ている訳ですから
見た事も無いのを、どう伝え聞いて書いたのでしょうね、不思議です。
画家というのは凄いですね、この少女がどんな思いだったのか、見る者が考えさせられるのです。
斬首って、今の時代無いと思うのですが
実際、その時の気持ちは複雑な思いがあったのでしょうね
来週の月曜日が神戸での最終日ですが、もし見に行かれる方がおられたら
ちょっと思い出して頂いて、絵を眺めてると違った風に見えるかもしれませんね
絵って面白いですね
決して書く事等出来ませんが、見るのは面白いです。
ここまで書いててまたもや思うのですが、平清盛と源頼朝との話に似てますね(またかいや・笑)
天皇家の争い、そして清盛が自分の娘、徳子を高倉天皇と結婚させ、その子を安徳天皇とさせた事
清盛は頼朝の留めを刺さず逃がしたために逆にやられてしまったことなど、歴史はよく似ていることが多いです。
見終わってからはお昼ご飯を食べて、またもや酒蔵の福寿へ

あれだけ怖い絵をみてから酒ですか(笑)

今日のおつまみは豚の舌
初めてかな?なかなか美味です。

そのシーンを想像しちゃダメですよ
恐くなるから^^;
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