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2014.01.19 (Sun)

大井の牛丼と神戸の話

今日は、また話が長いんですわ
覚悟して読んでね(^□^*)がははは…

早速、昨日の晩御飯
先日、大井肉店本店でスジ肉買った時、チラシを貰ったんです。
そこには17・18日はご奉仕日と書いてて、神戸ビーフ「冷凍牛丼の具」通常1260円を在庫一掃セール
525円・・・・な、な、なんと半分以下じゃないですか
滅多に食べれないので、ちゃりんこを飛ばして買ってきたのです。
IMG_3660_convert_20140119075546.jpg
神戸ビーフが525円と言われりゃ買うわね(本店のみ)
ただこの本店のある場所は、ひっそりしてる場所でそんなにお客さんは見かけませんのでゆっくり買えます。

料理といっても温めるだけ・・・・出来ましたぁ~~
IMG_3668_convert_20140119075648.jpg
脂も程よくあって、柔らかいくて美味しい。。。神戸ビーフ食べた事無いので比較できません(笑)
超高級肉と思い込みます・・・・値段的にそんな事ある筈ないのですが(笑)
紅生姜はもうちょっと、ちゃんとしたのが無かったんかいな!

がっつり食べて最後は丼を持ち上げて、かき込んで・・・あ~美味しかった(へ。へ)ζ


この大井肉店へ行く途中で、見掛けた帆船(海王丸)
余り面白くもないけど写真を撮ろうと近くまで行ったのです。
金網で区切ってあって近づけないので石に上って撮りました。
IMG_3652_convert_20140119080320.jpg
ま、この程度ですわ

ところがその横に、行き止まりの誰も殆ど来ない場所に、網屋吉兵衛の碑が建ってるのです。
網屋吉兵衛って知ってる人は殆どいないと思うのですが、平清盛観光で兵庫津辺りをうろうろしてると
壁に網屋吉兵衛の絵が描いてあり、商売してた人と分かる程度ですが、それを覚えてたんです。
IMG_3657_convert_20140119080547.jpg
ところがここは旧居留地のある神戸村付近、兵庫津じゃなかったのか?と疑問に思ったのです。

どうでも良い話ですが、神戸に来られた方に三宮が発展した経緯をお話するのですが
この神戸は「横浜に黒船が来航した時に開港を迫られて福原の隣の神戸村が過疎で選ばれ、その後居留地
        を中心として発展した為に、神戸の中心が福原(新開地)から三宮に移行した」
と説明させて貰ってます。
神戸事件等の解説をみるとこのような書き方なのです。

ところがこの網屋吉兵衛が兵庫津から2km程離れた神戸港に碑が有る事が気になって調べてみたのです。

<ウィキペディアより>
1785年(天明5年)、摂津国八部郡神戸二ツ茶屋村城下町(現在のJR元町駅付近)に生まれる。生家は呉服商であった。

11歳の時に兵庫三件屋町の荒物商・豊後屋に奉公に出た。奉公中に吉兵衛は兵庫津の近辺に船蓼場(フナクイムシを駆除するための乾ドックのこと。船据場とも)の建設を夢見るようになった(当時兵庫津に停泊する船がフナクイムシの駆除を行うには讃岐国多度津にまで赴く必要があった)。20歳の時に奉公を終えて家業を継いだ吉兵衛は船蓼場を建設する資金を得るために商売に精を出し、弘化3年(1846年)に隠居。船蓼場建設に向けて行動を開始した。吉兵衛は奉公中に建設を夢見て以来、数十年にわたり兵庫津近辺で潮の満ち引き、海底の深さ、風が吹く方向を調べていた。

吉兵衛の家族は私財を投じての建設計画に反対したが吉兵衛は一切顧みず、嘉永7年(1854年)9月に大坂谷町代官所の許可を得、神戸村安永新田浜の入江で工事に着手した。1855年(安政2年)9月に船蓼場は完成したが、工事には巨額の資金を要した上に海運不況に見舞われ、資金繰りに苦しんだ吉兵衛は近江国の商人から呉服代金の未払いを理由に江戸表の寺社奉行に訴えられる事態に見舞われた。神戸村が仲介に入り、吉兵衛の借金(銀75貫800匁)を村が肩代わりする代わりに船蓼場を村が引き取り、吉兵衛が10年以内に借金の元利金を返済した際には船蓼場を返還することになった。吉兵衛は船蓼場の管理人として雇用された。



ここから事態が急変します。
1853年、横浜に黒船が来航し、脅しをかけられ開港を迫られます。
その時の日本の代表は江戸幕府で、将軍は徳川家茂でした。
江戸幕府としては都のある東の東京(江戸)西の大阪は外して、納得して貰えそうな近くの横浜・神戸が
浮上していました。

一方、別の重要人物が勝海舟
蘭学を学び、長崎の海軍に入所していた勝海舟はこれからの時代、海軍の重要性を幕府に訴えていました。
神戸も頭に入ってたのでしょう、ここで網屋吉兵衛を知り将軍家茂に謁見(目上の人に会う事)の仲介をするのです。

1863年(文久3年)、吉兵衛は小野浜において将軍徳川家茂に謁見した。家茂は吉兵衛に対し小野浜近辺を日米修好通商条約に基づく開港場とすることの是非について問い、吉兵衛はこの上ない適地であると回答した。謁見を仲介した勝海舟は吉兵衛が船蓼場を失った経緯に同情し、所有権を取り戻すことができるよう便宜を図ると約束したが、実現しなかった。

この翌年1864年、この場所に神戸海軍操練所が出来、勝海舟が活躍すると同時に登場するのが坂本竜馬
但し、反幕府的色が濃いとされ、翌年1865年に閉鎖されてしまいます。

1867年(慶応3年)、兵庫港(現在の神戸港)開港に伴い、船蓼場は江戸幕府に接収され東運上所(税関)の船入場として利用されることになった。それに伴い10年以内に借金を返還すれば船蓼場を返還するという神戸村との約束は消滅した。1869年(明治2年)9月5日、吉兵衛は死去した。晩年は私財を投じて造った船蓼場が接収されたことを嘆き、死の間際も船蓼場のことを口にしていたという。
1968年(明治元年)外国人による居留地が始まって、今に繋がっていくのです。

そういう事で1968年、かつて船蓼場があった場所の南に吉兵衛の顕彰碑が建立された。
そういう事だったんですね

この碑の100mくらい離れた所には、神戸海軍操練所の碑が建ってます。
IMG_3658_convert_20140119080650.jpgIMG_3659_convert_20140119080738.jpg

また疑問が湧いてきましたよ
神戸村ってそんな金持ちだったんだろうか?
今なら役所があるけど、当時も今のような役所があったんだろか?
どの程度の過疎地だったんだろうか?

これからも、いろいろと探してまいります・・・・暇人やねぇ~~(笑)


ま、皆さんにはどうでもいい話、ここまで読んで頂いて有難うございました。


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テーマ : +おうちでごはん+ ジャンル : グルメ

11:13  |  :┗神戸・観光  |  トラックバック(0)  |  コメント(4)  |  編集  |  Top↑

*Comment

牛丼の具も凄いですし、海王丸の姿も素敵です。
海王丸は一度直に見て見たいです。帆船は大好きです。

網屋吉兵衛も話はとても詳しくて良かったです。
いつの世にもこう言った人がいるのですね。
運不運は自分では分かりませんが、時代に切り捨てられる人の悔しさは気の毒ですね。
相子 |  2014.01.19(日) 12:06 |  URL |  【コメント編集】

こんにちは。

神戸牛 いいですね~。
すじでもいいし 牛丼でもいいし 食べたいです。
今 食べれないですが。(;^ω^)
早く食欲が出て欲しいです。

歴史は調べると 面白いですよね。
あれこれ 調べたくなりますでしょ?(;^ω^)
本など読むと面白くて 城や寺など行きたくなるのです。
なので 最近(行けないので)その手の本など読まない様に
しています。
大河ドラマ好きなのですよ~笑。
mon tresor 2007 |  2014.01.19(日) 14:56 |  URL |  【コメント編集】

■相子さん

帆船、もっと見やすい所に泊まる事もあるのですが
今回は規制されてるところで残念でした。
牛丼はどうも新製品のようでしたが美味しかったですよ

網屋吉兵衛が居なかったら、神戸の歴史も変わってたか知れません
それなのに殆ど知られてないし、可哀想な人ですね
やはり時代の流れなんでしょうが、神戸の人はもう少し功績を称えて
あげないといけないと思います。
メタボ夫婦 |  2014.01.19(日) 21:58 |  URL |  【コメント編集】

■mon tresor 2007 さん

大井肉店は神戸ビーフの老舗ですから
早く良くなって、多いに食べてください!

僕は歴史、全く興味無かったのですが
4年前から神戸の勉強を始めて面白くなりました。
大河ドラマの平清盛は毎週、解説を書いておりました(笑)

まだまだ分からない事が多くて、知った事が繋がっていくと
楽しいですね(へ。へ)ζ
メタボ夫婦 |  2014.01.19(日) 22:10 |  URL |  【コメント編集】

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