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2012.06.10 (Sun)

平清盛「叔父を切る」

今週は中盤のクライマックスシーンですね

このドラマは平清盛ですから、今週は清盛と忠正のシーンが多いと
思うのですが、源義朝と為義も親子でありながら、親の無念さを思
いながら首を切るという、非情に悲しいシーンも見応えがあると思います。
今日はそちらを重点に書いてます。
さぁ皆さん、お楽しみに!

先週までの話と新相関図をご覧になる方はHPをどうぞ⇒


先週の宿題の回答でございます。
回答と言っても、これが正解は無いのでいろんな資料から僕の考え

この戦いの功労者は誰なのでしょうか?
清盛か、義朝か・・・・これが問題でした。

義朝にすれば、東国の武士を纏めて夜襲の案を出し、果敢に攻めた
から勝ったのである。だから俺が、清盛より多くの褒美があって当然

一方、清盛は武士の最大勢力で、もし崇徳天皇側に付けば戦力が拮抗して
どちらが勝ったか分からない、それが後白河天皇側に付いた事によって
圧倒的な勢力差が付いて、その時点で勝負あったとなった訳で、天皇側の
上層部にしてみれば清盛の方が功労者であったという判断もできるのです。

製造会社でよくある話、「事務方はなんぼのもんやねん
何もようせえへんやないか、これをやったのはワシらやないか」

会社で例えると、義朝は現場担当で、清盛は事務方
ホワイトカラーとブルーカラーには根本的に対立があるものです。
会社幹部としては、テーマに対して成果を挙げれば、現場にも事務方にも
褒美を与えて、両方に今後の活躍を期待するものです。


実際の褒美ですが、清盛は広島の安芸守から忠盛が受領していた、受領の
最高峰といえる大国の播磨守(兵庫県西部)の受領となりました。
受領=朝廷が派遣する役人で、その地の最高責任者

大国の受領になれば、決められた税を納めれば、残りは自分の物とする
事ができるのです。だから大国の受領は経済的に豊かになり、天皇に寄進
する事により、出世する可能性がまた高くなるのです。
つまり武士の清盛にとって、武士では誰もなったことがない公卿になれる
一歩手前になるのです。
また兄弟の教盛、頼盛が内昇殿を許されました。
内昇殿=殿上に昇る事を許されることで、貴族として認められたとい意味
   
一方、義朝は下野守のままで、左馬頭(さまのかみ)に任命されました。
これは馬に関する組織の長官で、位階は従五位上相当になります。
また、義朝も源氏として初めて内昇殿を許されたのです。
位は確かに清盛と同じように一つ上の褒美を貰いましたが、経済的には余り
変化は無かったようです。

会社、いや王家としては同じ様に褒美を出したぞ、という訳
位階の表で表してみます。
kaii31_convert_20120608192319.jpg

これで現場で活躍する義朝としては納得できたのでしょうか
上(清盛)を見た義朝・・・あいつは何をしたんや、俺がこれだけで
               おかしいやないか
ちなみに、清盛の方が5才年上でした。

以上、宿題の回答でした。
なんやそれだけか・・・そんな事言わんと、これを覚えて置いてくださいよ


さて話が変って、源為義(小日向文世)を振り返ってみます。
為義は平忠盛と同じ歳で、同じ様に王家や藤原摂関家に武士として仕えてました。
14才くらいまでは、同じように昇進していったのです。

ところが白河天皇(伊藤四朗)が上皇となり、院政を行いたい白河上皇は藤原
摂関家と対立し、権力を維持するための武士を、従来からの源氏ではなく、新
しく登場した平家を重用し始めるのです。その為、為義は少し素行が悪かった
ことや、子供も素行が悪くお咎めを受けたにも関わらず、その子を匿ったとして
信用を無くし、悪者にされていくのです。

考えてみれば、自分を犠牲しにて、仲間を大切にした人生なのですね

手柄を上げる忠盛に対して、焦る為義
それが王家に仕えてたのが、藤原摂関家に仕えるように移っていった原因なの
です。

その為義の子、義朝(玉木宏)は父のそういう状況から京の都を離れ、為義が
受領としている下野国(栃木県)に行き、力を付け東国を纏め、再び京に戻る
のです。

京では相変わらず、為義は躍進する平家に対し、藤原摂関家に仕える為義は昇進
できません。普通なら、その子である義朝も王家は敬遠するのでしょうが、王家
は義朝が東国を纏めてることを利用しようと、取り込むのです。

そして王家の対立と、藤原摂関家の対立によって始まった保元の乱
後白河天皇方についた義朝、藤原摂関家の頼長についた為義、親子が分かれて戦い
義朝が属する後白河天皇方が勝ったんですが、為義や忠正に対し斬首の命が下され
てしまいます。

義朝はあれだけ対立していた父親、為義を切らないといけないのです。
本当に憎くて対立していたならば、切れたかも知れないのですが、そこは親子
義朝は信西に対し、褒美を辞退するので父を助けて欲しいと訴えるのですが、聞き
入れられませんでした。

どちらも男として手柄を上げ昇進したい、豊かになって一族を養いたいという思い
からであって、欲望だけではない、という事が義朝にも分かってくるのです。

現在でもよくある話じゃないですか
親子喧嘩して、お互い「アイツとは縁を切った」と言ってても、子供が親となった時
親の苦労が分かり、親も子の成長を喜んで「親子の絆」を感じ合える、そんな状態
だったのではないでしょうか

それを上から言われた「父親を切れ」の一言

王家から見れば、武士は犬同然の者・・・そんな時代だったんですね
一族を従えた棟梁として、逆らうことが出来ません
逆らえば、他の仲間が同じ様にやられてしまうのです。

そんな事を思って見れば涙が出るかもしれませんね


一方、清盛には忠盛を切る事に、躊躇したという記録がありません。
一説によると、躊躇する義朝に対し、清盛が先に忠盛の首をはね、義朝が切らないと
いけない状況に追い込んだ、なんて話もあるようです。


こんな話も知って見ると、義朝の無念さがひしひしと伝わるのではないでしょうか
義朝と為義のシーンって、どの位映るのでしょうかね?  
一瞬にかけましょう(笑)


父親を切った義朝
こうなれば源氏として、立派な褒美を貰わないと割が合わないではないか
清盛と俺が、こんなに違うのはおかしい
俺の位はもっと上がってもいいはずだ

じわじわと不満が沸いてくるのです。


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テーマ : 雑記 ジャンル : 日記

06:58  |  平清盛解説&ゆかりの地  |  トラックバック(0)  |  コメント(0)  |  編集  |  Top↑

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