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2012.07.22 (Sun)

平清盛「滋子の婚礼」

日曜日は、大河ドラマ「平清盛」の裏話でございます。
興味ある人、ない人、みんな見てってぇ~


番組のあらすじはNHKのHPからご覧ください⇒

前回までの解説と新相関図はこちら⇒


ドラマも50回中の今日が29回目
源氏と平家の戦いは平清盛率いる平家の勝利となりました。

この事によって、天下太平の世が来たかというと、そうではありません
武士は平家が掌握し重要な地位を占めましたが、天皇と上皇の関係は
変ってないのです。
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親子であるはずの上皇と天皇
本来は天皇に権限があるのですが、そこは親である上皇は実権を離そうと
しないので問題になるんですね

二条天皇は、政について上皇には相談せず、関白の藤原基実に相談して
物事を決めるのです。そのことが後白河上皇は不満でした。
また、武家として初めて公卿となり、実権を握った清盛は妻の時子が平治の乱後
二条天皇の乳母となり、信西と同じ様に朝廷に権力を持つようになるのです。
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しかし、清盛の経験から天皇と上皇の対立は、争いとなることから清盛は
後白河上皇にも気を使い、上手く間を取り持つのです。

また後白河上皇としては、自分の味方であった信西や藤原信頼はおらず
勢力としては弱かったので、清盛を頼りにしていたのです。

平治の乱時、二条親政派として信頼と一緒に信西を倒そうとした
藤原経宗・惟方は、反信頼として寝返って、清盛に情報を流しました。
そのお陰でお咎めは無く、再び二条天皇派として動き始めるのです。

後白河上皇が八条堀河の藤原顕長邸に行った時、上皇は大路を桟敷から
眺めていると、藤原経宗・惟方の命により板を打ち付けられて、外を見れ
なくされたのです。
今で言うイジメですわな
その時の様子を、後白河上皇は清盛に泣いて訴えたと言います。

大河ドラマはここから、弱い後白河上皇に対し、滋子が冷たく突き放すような
事を言うのですが、逆に後白河上皇は心を惹かれ、婚礼となっていくのです。


これにより、清盛は天皇の乳母の夫であり、上皇の伯父となり
王家の血縁関係も築いていき、従来の貴族や公卿達には、どうする事も
できないくらいの地位と権力を持つことになるのです。


これだけ天皇に近くて、権力を持つと好きなようにやれたかというと
そうでもない様でした。

武士から公卿になり、僧侶の強訴等に対しては武力が使いづらくなったようです。
武士がお寺を武力で攻めた、という事にならない様、相当苦慮するのです。

それはこれからの、話なんでしょうね




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テーマ : 雑記 ジャンル : 日記

09:00  |  平清盛解説&ゆかりの地  |  トラックバック(0)  |  コメント(2)  |  編集  |  Top↑
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