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2012.06.17 (Sun)

平清盛「清盛の大一番」

大河ドラマの視聴率も少しずつ盛り返してきましたで
ちょっと分かりやすい場面になってきたからでしょう
ガンバレ~~~、NHK!
(応援するから、ちょっとなんぼか頂戴・・・・あははは)


先週までの記事と、新相関図をご覧になる方はこちらへ⇒


先週は保元の乱の決着がついて、平忠正、源為義らの斬首でした。
その後の状況が今日の内容なんですね

平清盛及び源義朝は、一つ上に値する褒美を貰ったのは先週説明しましたが
他の人はどうだったのでしょうか
            内裏造営場所  昇進
棟梁 平清盛 播磨守   仁寿殿 ⇒ 昇格なし
             1157年
三男 平経盛 常陸守   淑景舎 ⇒ 従五位上
四男 平教盛 淡路守   陰明門 ⇒ 正五位下
五男 平頼盛 安芸守   貞観殿 ⇒ 従四位下

清盛の兄弟3人はそれぞれ受領となり、一門としてはかなりの経済力になりました。

乱後の信西はまず、御所の内裏造営を行います。
その事に対して、平家は夫々が貢献して信西をバックアップするのです。
そして信西は後白河天皇から絶対的信頼を得て、藤原摂関家に取って代わる力を持つ
ようになりました。

内裏の中の夫々の建物についてはここをご覧ください。
僕にはまださっぱり分かりません。スンマヘン!
清盛が造った仁寿殿は、平安時代中期には天皇が住んでいた処らしいんですが、その後
清涼殿に移ったため仁寿殿は儀式や相撲とか蹴鞠等に使わられたらしいです。

それが、ドラマの中での相撲をとる場面じゃないでしょうか

そういう建物を兄弟総出で建てたので、またご褒美が貰えたのです。
それで3人の弟達が、上の表の様に夫々一つ上の階位になっていったのです。

一方、源義朝はどうだったのでしょう
棟梁 源義朝 下野守・左馬頭     ⇒正五位下    

この時、長男の義平は東国を任せて京の都には居ませんでしたし、鬼武者(源頼朝)
はまだ9歳、これでは、一門を背負っているだけに内裏造営の余裕等ありません。


こここで信西は清盛にも何か褒美をという事なのですが、、これ以上の昇進は絶対
させることが出来ない、なぜなら武士が公卿になってしまうからなんです。
そこで名目は置いといて、実質的な公卿に相当する太宰大弐(実質的大宰府長官)の
話がでてくるのです。
この物語の最初の方で、父の忠盛が日宋貿易によって巨万の富を得て経済的に拡大
したところです。
この太宰大弐の役職は、代々から公卿が任じられた役職だったのですが
それを初めて武家である平清盛が就任するのです。これはエライコトですよ

これらを階位の表にしてみます。
kaii42_convert_20120616184000.jpg

黄色の平家とピンクの源氏では差があると思いませんか

平清盛が太宰大弐になった後、源義朝は播磨守となり大躍進
源義朝は長い源氏の歴史の中では、実質的最高の位や経済地盤を持つのですが・・・

「なんで清盛の後ばっかりなんや、クソッ」


源義朝は信西に対して、苦手な方法で取り組むのです。



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テーマ : 雑記 ジャンル : 日記

06:17  |  平清盛解説&ゆかりの地  |  トラックバック(0)  |  コメント(0)  |  編集  |  Top↑
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