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2012.05.13 (Sun)

平清盛「鳥羽院の遺言」

先週の「誕生、後白河亭」、最後に後白河天皇が笑ってましたけど
なんやいきなり・・・・さっぱり分からんて余り評判が良くなかったみたい

普通に見てると、タイトルから新しい天皇が誕生する経緯を見せる
のかと思ったら、そんな処は全く無く、最後の30秒ほどでいきなり
ですからね、びっくりくりくり、くりっくり・・・ですよね(笑)

だけど、このブログやHPで説明を見てくださってる方は、何となく
理解できたんじゃないでしょうか
その分ストレスが少なくなって、長生きできますよ(笑)

第18話までの裏話をご覧になるにはこちらをどうぞ⇒



さて、今日の題は「鳥羽院の遺言」
いよいよ、これからの大荒れの場面に繋がっていきます。
今日は今までの説明の中で抜けがありますので、そこを説明します。

藤原摂関家の父、忠実は以前説明したように評価が良くなく、長男と
忠通との間で、関白の地位をめぐり仲がよくありません。
また、忠通と頼長は養子の関係を結びましたが、忠通に男の子供が出来
その関係を破棄したため、頼長は怒ってしまいます。

この話は、藤原家の内部の話で王家との関係は無いのです。
今日はその藤原頼長について、もう一つの揉め事を説明致します。

以前、天皇を補佐するのを関白と説明しましたが、このときの関白は
長男の藤原忠通で本当は1人だけなのです。
ところが鳥羽法皇は、天皇に関する文書をコントロールできる内覧
という、関白と並ぶ権限を頼長に与えます。

頼長にすれば、官僚組織の最高位の左大臣であり、天皇との関係では
内覧という地位にあるのですから、忠通から破棄された将来の関白への
地位は保証されなくても、現状は満足出来る地位にいたのです。

ただ忠通は面白くない
本当は一人で天皇をコントロールできる関白であるはずが、弟が割って
入ってきて思うように出来ない不満があったのです。

その状況をイメージ図として表してみました。
kanryou1_convert_20120513081742.jpg

ところがこの頼長、余りにも厳しく公卿にも処罰したために嫌われます。
鳥羽法皇が寵愛していた藤原家成までも懲罰を行い、鳥羽法皇、近衛天皇
それに、公卿や寺社からも信用を無くしていたのです。
先週の場面で、加藤が、イヤ、兎丸が「悪左府」と言ってましたが
あれは悪い左大臣という異名
近衛天皇が崩御して頼長が内裏に駆けつけますが、断られてしまいます。
その時、対応したのが藤原家成の子、藤原師光(もろみつ)だったんですね
親父への仕返しですね、ありゃ

その時、丁度次の天皇や組織について協議してたんです。

頼長はその時、妻を失って喪中であるため素直に引き下がり
また組織も天皇以外変更無く、自分は内覧と左大臣の両方を再任されると
思っていたのです。

ここから今週の話です・・・・長いでっしゃろ・・・あははは

頼長は内覧には任命されなかったんです。
当然、兄の忠通が怪しいし、陰に信西が見えてきます。


さてさて、どうなっていきますやら

面白くなってきましたね~、恐ろしいですね~
ハイ、それでは皆さん、今日の平清盛お楽しみに!
それでは、さよなら

さよなら

サヨナラ!!!



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テーマ : 雑記 ジャンル : 日記

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