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2012.05.31 (Thu)

ねぎまの照り焼き

今年も、あまり日当たりの良くないベランダで菜園やってます。

胡瓜の収穫が出来そ~
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まず1本、いくら採れるか楽しみなんですよ


だけどこれ以外が全くダメでございます。
ししとうなんだけど、ヒョロっとしてて、最近白い粉が目立つようになった
これ、ひょっとして病気?
調べたら、うどんこ病かな?
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隣に写ってるのはネギ
これは誰でも関係なく育つので、重宝しております。

茄子、これも今年はダメかな
普通の苗じゃなく、接木がいいからって買ったんだけど
根元にカバーしててクリップで留めてたんですよ
クリップは取ったんだけど、どうも根元が大きくならない
根元の白い部分が、上より細いでしょ
植え替えるべきか思案中
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全くの素人なもんで、やはり難しい
この条件でも、バッチリ野菜が収穫できるようになれば
凄いんだけどな・・・・研究が必要だね、こりゃ


昨日の晩御飯
白ネギが半分、まだ残ってる。
普通に考えたら、こりゃ串に指して「ねぎま」じゃないかと思う
鶏ももを少しだけ買ってきて、照り焼きにしました。
串は面倒だから中止!はっはぁ
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照り焼きのタレを作るのも、慣れたんだぜ
旨ぁ~~~~


もう一つは、ニラを処分だ
スープ餃子ってのが売ってたので
それを買って、ニラ、もやし、餃子を放り込みました。
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なかなか食べ応えがあるよ、こりゃ

早く手作り水餃子やらなきゃ・・・・思い出した


今日のメニュー
1.ねぎまの照り焼き
2.ニラキムチのスープ餃子
3.じゃこ温たまの冷奴(乗せるの失敗)

今日は久しぶりに、チューハイでございます。
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ベランダ菜園で一千万、出来んかな(笑)


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2012.05.30 (Wed)

高野豆腐と茄子の豆板醤炒め

連日、テレビ放送されているスカイツリー634m、凄いな~

神戸も負けてない所はないのか・・・・行ってきましたがな
六甲山931m・・・山やもんな、そりゃ当たり前か

今日は日曜日に六甲山頂施設の六甲オルゴールミュージアムに行った時の話
他の施設は後日ね
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電車に乗って、バスに乗り換えて、ケーブルカーにまた乗って
山上バスに乗って、漸く到着したもんだから、まずは腹ごしらえ
このオルゴールミュージアムのレストランで食事
注文したら、売り切れてあまり種類が無い
ま、自然が沢山あるところやし、野菜中心で注文ですわ
ビールもついでに頼んだら・・・・こんなけしか無いやん
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腹八分目で我慢ですわ


ここで、早速オルゴールコンサートを聴きます
コンサート中は写真撮影禁止なのでありませんが、面白いオルゴールが沢山
100年程前のオルゴールが殆どなんですな
これはコンサート後の撮影OK時に撮った写真(ボケててすんません)
無茶苦茶大きいでしょ
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オルゴールって聞くと、ピポパピポポピポパンって金属音を
思い出しますよね。
勿論そんなオルゴールもありますけど、ちょっと違うんです。

オルゴールって自動演奏機全般を言うみたいです。勉強しましたわ
この大きいオルゴールの動力は、どうもフイゴの風のようで
中にある太鼓やオルガンを自動演奏してました。

一般オルゴールのイメージに近い物がこれ!
円盤に曲が刻まれてて、これを回して音楽を奏でます。
宇宙戦艦ヤマト・・・聞け無かったのは残念やわ!
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あのでっかいアコーデオンをそのまま使ったオルゴール
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これはバイオリン、なんか凄いでしょ
手で弾いた方が絶対楽やと思うんですけど
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実際の演奏では、バンジョーを聴きました。
ほんま、ようやるわ・・・と言うのが本音
人が弾いた方が、簡単で安いと、やっぱり思います。

何せ100年前のヨーロッパ
戦争やなんやかやで演奏する人も居ず、しかし酒場で音楽も聴き踊りたい
お店としてはいつでも音楽が聴ける・・・という事でこのような自動演奏機
を作ったらしいのです。

当然、技術の進歩と演奏家が増えて衰退していったようなんですが
ここにはその時の器械を保存して、聴かせてくれるところなんですね


別の部屋のは、他に面白いのがありました
なんやと思いますか?
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上から覗いて、下のフィルムを動かして動画を見る装置

こうやって観るんですわ
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他の施設はまた後日・・・もうええ~、気を使わんといて
いや、そんなこと言わんと、見てえなぁ~(笑)



昨日の晩御飯
茄子1本がありますので、それをピーマンと炒めます
レシピには肉を使ってますが、肉は我慢しましょ
ん~ん、困った時の高野豆腐

高野豆腐を戻してサイコロ状に切って、豆板醤を入れて炒め
片栗粉でトロミを付けるのですが、肉と高野豆腐の違いが
出てきますんや
トロミをつけようと、水溶き片栗粉を入れると汁が無くなってる
ちょっと計算したつもりやったんですが、まだあかん
ちょっと片栗粉が固まってしまいました・・・あ~残念!
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でも、出汁をよく吸った高野豆腐がまた旨いんですな
失敗は成功の母なり、ですな

もう一つはスルメイカとレタスのサラダ
生スルメイカを酒、醤油でよく炒め、別のレタスと一緒にボールで
混ぜたら終わり
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酒の肴にピッタシでっせ

今日のメニュー
1.高野豆腐と茄子の豆板醤炒め
2.イカとレタスサラダ
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5月も後1日で終わり、早いですね
ゆっくり遊べるのも後1ヶ月、何して遊ぼ

スカイツリー、昇りたいな


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2012.05.29 (Tue)

高野豆腐の照り焼き

昨日の続きです。
ま~、大した話じゃないので期待は禁物ですよ
(せえへん、せえへん・・・誰がするか・・・あははは)


なんの話やったかな
あ、徳川道の話

今日見た人の為に、昨日の写真ですわ(優しい心使い・笑)
この道が、徳川道の一部
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なんやねん、それ!

1862年、横浜の生麦村で起こった生麦事件と同じ様に、欧米人との衝突を
避けようと、神戸の西国街道とは別に、山側に迂回する道を急遽作った34Km
の道の事を言ってますのや・・・・分からんな~

神戸事件ってのは開港まもない1868年、慶応4年のここ三宮神社前での話
ポンポン、ポポンがポン
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明治政府から西宮(神戸の隣)の警備を命ぜられた備前藩(今の岡山県)の隊列が
西国街道を東に向かって行進中に、神戸三宮神社の前にさしかかった時、沖に停泊
していた外国軍艦のフランス人水兵数人が隊列を横切ったんです。それに怒った備
前藩の隊長、滝連三郎が槍で静止しようとしたんですが、言葉が通じなかった。
フランス語勉強し~や・お前もやって・・・・あははは

フランス人水兵は意味が分からず、無視して隊列を横切ったので、滝連三郎は更に
止めようとして軽症を負わしてしまったんです。
その時、近くに居た水平が拳銃を出してきたもんだから、滝連三郎は思わず
「拳銃、拳銃」と驚きの声を出したんですが、それが味方への命令と勘違いされて
しまい、打ち合いとなって国際事件となったんです。

この事件を「神戸事件」と言ってます。
この時既に、横浜生麦事件の様なことを回避するため、この「徳川道」を突貫工事
で作ったにも関わらず、使用されずに事件が起きてしまったのです。

この後、神戸の居留地は占領されてしまい、明治政府に3つの条件が出されます。
1.日本は各国に対し謝罪するとこ
2.今後、この様なことを起さない様に明言すること
3.責任者を死刑にする事

明治政府は、東久世通禧(ひがしくぜみちとみ)を代表としてましたが、直接交渉
をしたのが、後の初代兵庫県知事で同じく初代総理大臣の伊藤博文なんですよ
昔の千円札でお馴染みでしたよね

でも交渉は決裂して、結局、滝連三郎は切腹となるのですが、その時の様子が下の
写真なんです。(ガラスで反射して見難いのはゴメンネ!)
向こう側の椅子に外国人が座って見ています。
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結局、この切腹で欧米から居留地占領が解除されて、日本が後の香港の様に
植民地にならずに済んだという重要な事件でした。

その滝連三郎のお墓がこの大仏のある能福寺にあるんですが、そのお墓の隣には
平清盛が眠ってるお墓があるのですよ(ホンマに眠ってるかどうかは不明らしい)
何でも清盛にくっ付けまっしゃろ・・・あははは
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昨日の晩御飯
ナイショでね、ワイコインで飲めるところで飲んだら
飲みすぎ、食べすぎで大幅体重増・・・これはイカン!

肉料理も多かったので、控えめにして調整でございます。

家に買い置きしてる高野豆腐
煮物かフライしかやった事がないので、今日は照り焼き
高野豆腐の照り焼きってあまり聞かないでしょ

照り焼きのタレを作って、そこに絞った高野豆腐を入れたら
タレを全部吸い込んでしまいました・・・・当たり前かな?

これを焼いたら官僚・・・いや完了
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ええ色でしょ


もう一つは、鯵の南蛮浸け
作って1日置きました。
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柔らかくなって美味しかったです。


もう一つは、晩酌日記のおきよさんが作ってた
「納豆おろし」
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めっちゃ体に良さそう、さっぱりして美味しかった
おきよさん、有難うございました。


今日のメニュー
1.高野豆腐の照り焼き
2.鯵の南蛮浸け
3.納豆おろし
4.レタスキムチ奴(適当に乗せました)

ビールのグラスを奥さんが、買ってきてくれました。
たっぷり入って、飲みやすいです。
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なんか長い記事が続くな
もっと端的に書けんか・・・・無理?





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2012.05.28 (Mon)

すじ肉もやしのキムチ炒め・温たま乗せ

今日の記事は土曜日の話

以前、京都まで歩いた時に、途中で見かけた美術館が気になってたので
今度は電車に乗って行って来ました。

神戸の御影という所にあるので、阪急電車に乗るのですが、まず駅にある
御影散策パンフレットを貰って、道の確認と他に行くところを調べました。
だから、今日は迷わず行けました。


まず、見たかった狩野派の屏風絵を見に香雪美術館へ
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美術館の入り口、庭が何となくいいでしょ
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この香雪美術館は、朝日新聞社を創設した村山龍平という人の家の中に
美術館を立てた所なんです。

狩野派の屏風絵って、あの金閣寺の屏風絵があった京都・承天閣美術館と同じ
知識が無いので、さっぱり内容を表現できませんが、許してちょ
見てると落ちつくんですよね

本当は中の方の庭も見たかったんだけどダメでした。残念!


ここからパンフレットに載ってたところへ移動します。
何回も言ってますが、神戸は兎に角、坂ばかり・・・ハァ~しんど

そしたら住宅街のなかに突然、水車があるじゃないですか
灘目(なだめ)の水車と言うらしいです。
奥の小さい方が山田次郎水車、手前の大きい方が山田太郎水車というらしいです。
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別に観光地でもなんでもありませんが、江戸時代に六甲山系の水をひっぱって
水車を回して動力にし、菜種油や酒を作って江戸の町に送ってたようです。
その数は当時88基もあったとか

ここも急な坂ですので、木樋で伸ばし落差を作って回してるのですね
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この動力は、今は何かに使ってるのかな?
上にモーターみたいなのがあって、水車にはベルトが掛けれるように
なってるので発電?
このご時勢だから発電やればいいと思うんだけどなぁ


ここから更に上っていきます。
ここは昔から豪邸が沢山あって、超高級住宅街のひとつ
こんな坂がきつい所、よう住まんわ・・・貧乏人のお前が住めるか
だいたい皆、車やろ、金持ちやで・・・あはは

で、上りつくと、また昔のお城のような家が見えますわ
ここは、あの灘の酒で有名な白鶴酒造の白鶴美術館
昭和7年に建てられた美術館で、嘉納治兵衛の美術コレクションが
展示してますのや
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昨日見たのが「中国陶磁の文様世界」といテーマ内容でした。
1000年前の中国は偉い壷や器を作りますな
これを忠盛や清盛が一生懸命集めたんやろね
それを天皇に賄賂として送って、偉なったんやね、きっと
これか~~~、この器か~~~うむ、うむ

青磁器って言うたら、三田屋やすらぎの郷本店のハムを思い出します。
やっぱり器も大事やわ・・・

入り口から入って、この正面に見える建物に美術品を置いてあります。
監視員がそれぞれ居るんですが、この時、お客は僕一人でじっくり
見る事ができました。
真ん中の灯篭は、奈良東大寺の灯篭を真似て作らせた物らしいです。
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外でちょっと休憩、椅子が置いてありました。
どっしりとした、いい風景でしょ
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ここから家に帰るのですが、お昼に500円カレーを食べたので
消化のため電車を乗らず歩きます。
なんや普通の住宅街?・・・ですけどこの道は徳川道と言いますのや
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昔、明治の初めに「神戸事件」といのがありましてね
この話したら、また長くなるので・・・今度にしますわ


晩御飯です。
スジ肉300g買いました。
よく煮込んで、柔らかくして食べたら美味しいのですな

これを使って3品作りました。
まず最初は「すじ肉もやしのキムチ炒め・温たま乗せ」
ただただタイトルの通り、煮込んだスジ肉にもやし一袋とピーマン1個を
キムチを入れて、コチュジャン足して炒めただけ
あ、温線たまごは最後にポンと乗せてね
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先日作ったパスタに似てるけど、こっちも簡単美味しいよ

もう一つは、「どて焼き」まがい
味噌が普通の合わせ味噌しかなかったので白っぽくなりました。
汁も少なめ・・・・でも味は「どて焼き」や
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今日のメニュー
1.すじ肉もやしのキムチ炒め・温たま乗せ
2.どて焼き
3.主役のはずだったハヤシ(ライスなし)
     すじ肉のハヤシって意外と美味しい
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スジ肉、二人で300g・・食べすぎやな、やっぱし
ぜんぜん制御が効いとらん

目標から遠ざかっていく・・・お~~~い



皆様のご協力のお陰で、なんと1位になってました。
有難うございます。
これからも宜しくね!!!!



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2012.05.27 (Sun)

平清盛「保元の乱」

さあ始まりました。
日曜日恒例の平清盛解説、裏話、今日もやりまっせ!

平清盛、去年から勉強し始めて今もやってますが
そうすると、何でも見た事が清盛に結び付いてきて面白いです。

昨日は、神戸御影にある白鶴美術館に行ってきて、中国陶磁の文様世界
なんてのを、誰も居ない部屋で一人観てました。
中国の北宋の時代ですから、今やってる清盛の時代なんです。
白磁器や青磁器なんかがあり、こういう品物を当時は貿易して輸入して
たんだと思うと、身近に感じられて楽しいですね
また日を変えて、その様子をUPします。


さて、お待たせしました。(誰も待ってないって・・・あははは)
物語の重要な場面である「保元の乱」が始まりました。

先週までの内容はこちらをご覧ください⇒


後白河天皇 対 崇得上皇
藤原忠通  対 藤原忠実・頼長
と分かれて、戦いが始まります。
武士はどちらに付くのか!

源氏は為義と義朝の親子が分裂しましたが、平家の清盛はどうするのか
決めかねてる状態
それは源氏は勝って手柄を挙げ、どちらも昇進したい思いが分裂させた
のですが、平家はもう既に武士としての最高位に就いてます。

戦はしたくない、というのが清盛の考えでした。
しかし状況はどちらかに付かなければいけない為、迷っていたのですが
そこに母、池禅尼によって助けられたのです。

じゃ、どうして池禅尼は後白河天皇が勝つと思ったのか、そこを今日は
調べてみました。

保元の乱の戦力状況は下記の通りでした。
>>
後白河天皇氏族崇得上皇反対勢力になった理由
平清盛300騎伊勢平氏源為義不明信頼無く頼長に仕える
源義朝200騎河内源氏源頼憲元々崇得上皇に仕える
源義康100騎河内源氏平忠正忠盛に対し反発心
源頼政摂津源氏
源重成清和源氏
平信兼常陸平氏


後白河天皇方には、清盛や義朝以外にも大勢の見方がいたんです。
それに対して、崇得上皇側は反発した個人の集まりでしたので、数は
明確な記録が無いのですが、少なかったようです。

この様子を崇得上皇の乳母として、真近で見ていた池禅尼は余りの違いに
後白河天皇が勝つと肌で感じたのでしょう。

しかし、もし清盛が崇得上皇側に付けば、戦力は互角に近くなり、最前線で戦わ
なければいけなかったと思います。
それは清盛の意に反していたので、やっぱり後白河天皇側に付いて、ゆっくり
やろうか、なんて思ってたのかもしれませんし、池禅尼もそれを望んでいたのでしょう。


案の定、戦が始まると表の600騎が先頭になって攻め込みますが、清盛は
「合戦は板東武士にまけせておいて、ゆっくり見物じゃ・・・命は大事」
なんてあまりやる気がなく予想どおり
(板東武士とは東国の武士で、源義朝の軍勢を言ってます)

それに反して、平重盛が血気盛んに敵陣に突き進もうとしたのを見て、慌てて
止めに入ったとか・・・・

そういえば、保元の乱の屏風絵に書かれてた清盛は、皆が戦ってる時に後ろの方で
壁の傍に、ボーと立ってる絵を見ましたわ(笑)


結果は圧倒的に数で勝る後白河天皇側が勝ったんですが、源為義は源氏の棟梁では
無かったのか、なんで兄弟以外に源氏を纏めて味方に付けれなかったのだろうと
思うのです。

源為義と同期に実力のあった河内源氏は下記のように存在していました。
・源義国・・・従五位下加賀介
・源義信・・・従四位下左兵衛佐
・源経国・・・義忠の長男
・源義高・・・従四位下左兵衛権佐
・源義光・・・従五位下刑部少補
・源義時・・・左兵衛尉
なんか分からんけど、ようさん居るでしょ

天皇方にも沢山の源氏が味方に付いてますし、為義には味方が居なかったの?
どうも源氏の棟梁は為義じゃなく、別の人間だったのかとも思えます。
平家は清盛が棟梁とはっきりしてますが、源氏は分からないのが実態のようでした。

じゃなぜ源為義が源氏の棟梁と言われてるかというと、その孫の源頼朝が鎌倉幕府
を起した歴史上の重要人物で、その祖父ということで、説明する時に棟梁的扱いで説明
されてるというのが本当のことらしいです。


さあ、これからだんだん面白くなってきますよ
いいですね~~、楽しいですね~~

それでは皆さん

さよなら

さよなら

サヨナラ!


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09:04  |  平清盛解説&ゆかりの地  |  トラックバック(0)  |  コメント(2)  |  編集  |  Top↑
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