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2012.04.15 (Sun)

平清盛 「嵐の中の一門」

平清盛も親子関係が表現される場面が多くなり、少しづつ分かりやすい
場面になるのじゃないでしょうか

平忠盛と宗子の間に生まれた実子、家盛が急に頭角を現してきて
清盛に取って代わる勢いとなりますが、熊野詣の途中で死んでしまいます。

実の子を亡くした母親の宗子は大そう悲しみ、忠盛も落ち込みます。
しかし気を取り直した忠盛が、鳥羽法皇に高野山の宝塔造進を命じられ
清盛を代官として進めるのです。

しかし藤原頼長に言われたことで愕然となり、忠盛は・・・



この時の背景を序列を表す位階と言うもので説明してみます。

当時の位階は、三位以上が公卿(今で言う政権担当ができる位)
ですが、藤原氏が全権を握ってます。


その下は貴族ですが、身分は公卿の一段下で政権担当は
出来ず、地方のエライさんという所でしょう。

忠盛の位階は、公卿まであと一歩の正四位上なのです。
通常は正四位下で、上という位は三位に昇格出来る者が一時的に与えられる
位なのです。
そう思うと、忠盛自身も武士として始めて公卿になれるかな
と思っていたかも知れませんが、ドラマの中の場面で頼長に言われたことから
悔しさを出したことは、当然かもしれません。

下に登場人物の位階を表してみました。
kaii1_convert_20120415071818.jpg

平忠盛や清盛は貴族のトップレベルだったんです。

一方、源氏はどうだったのでしょうか
平安時代中期以降の正四位になった者を調べました。
           没年
源宗干(むねゆき) 939年
源経基(つねもと) 961年
源満仲(みつなか) 997年
源頼信(よりのぶ)1048年
源頼義(よりよし)1075年
源義家(よしいえ)1106年  白河院の院政が始まる(1087年)
平忠盛      1153年

名前を見てもらうと源氏がずっと続いて、初めて平忠盛が現れます。
源氏は100年以上前から、武士の正四位と言う位で王家や藤原摂関家を
武士として支えていたのです。
そう思うと、正四位から三位への昇格は武士ではほぼ無いという状態で
ドラマでの忠盛の悔しがり様は、ちょっと大げさかもって思えます。

僕なら「あ~あ、やっぱりあかんか、あの源氏が出来なかったんやもんな」
で終わってるような気がしますが・・・ま適当な人間やからね、あはは

ドラマに登場する平忠盛と源為義は同じ年で、1096年生まれです。
でも、なぜこれだけの格差が付いてしまったのでしょうか。

為義(ためよし・小日向文世)の悔しさ、その子供の義朝(よしとも・玉木宏)
の悔しさは相当なものだったと思います。
義朝にすれば、このバカ親父のせいで、俺が出世できないんだって
恨んでいたように思えます。
テレビでは、清盛と義朝は友達のように話してますが、実際は清盛の方が
遥かに位が上で、清盛は見下ろしていたのじゃないでしょうか
これは表から僕が想像したのですが、どうでしょう?

ではなぜ、為義が昇進しなかったのか、ドラマだけでは分かりません。
それは為義の郎党(部下)が乱暴でよくトラブルを起し、その者を為義が匿って
お咎めを受け信用を無くしてたからと記録には残ってるようです。

海賊討伐の命を出す時、平忠盛か源為義かを選ぶ際に、鳥羽上皇は
「為義に任せば、途中略奪行為を起して周辺の国々が滅びる」
と言って為義に反対し、忠盛に任せたようです。
平家の方が、西国に詳しいからという理由だけでは無かったんですね。

今までの僕の考えで一部間違いが分かりました。
平家と源氏は対立してると思ってましたが、それは白河上皇が院政を始めてからで
それ以前は、源氏が王家と藤原摂関家の両方に仕えてたのです。
それまでの平家は源氏の相手になる敵にも満たなかったのです。

だから実際、祇園事件前の比叡山の強訴に対して天皇を守る為に
若い頃の為義も加わり、褒美を貰って従五位下に昇進してるのです。

為義がそれ以上に昇進しなかったのは、白河院が「これはワシの世じゃ」
というセリフがありますが、その後に「藤原よ、黙っとれ」が続いて
その為に白河院は、藤原摂関家と対立構造を作り、藤原氏の言うことも聞く
源氏は切り捨てて、王家に従う新しい平家を重用する必要があったのでしょう。
それを実現するために、源氏を悪者にする必要があったのだと僕は推測
しましたが・・・・いかが?

為義の祖父は、源義家(八幡太郎義家)です。

祖父の義家が、白河法皇の強引な指示を受けて正四位下に昇進します
(ここまでは、源氏が重用されていたのです)
ところが、だんだんと危険人物的扱いとなり、その子で為義の父親の義親が
隠岐島に流された時、役人を殺害したとして、白河法皇は義親の殺害命令を出します。
その命を受けたのが隠岐守の平正盛(中村敦夫)で、正盛は義親の首を持って京の街
を凱旋するのです。
これが平家躍進の始まりで、平正盛が白河法皇に重用されるようになるのです。

為義が強盗をすると言ってますが、忠盛や清盛も日宋貿易で、天皇の指示
と誤魔化して大量に儲けた場面があったじゃないですか
平家の方が大胆にやってたのに、源為義だけがお咎めというのも変でしょ

白河法皇と鳥羽法皇の陰謀が、このような流れを作っていったんでしょう
何かドロドロとしたものを感じますよね




こんな背景を少し頭に置いて観ると、また面白いかと思います。

さあ今日の「平清盛」お楽しみに(*⌒∇⌒*)




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テーマ : 日記 ジャンル : 日記

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