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2010.12.26 (Sun)

有馬記念の思い出

今日26日は、競馬の第55回有馬記念
昔、競馬を始めた頃は、有馬記念って有馬温泉の有馬か
と思ってるくらい、馬鹿でした。

そんな僕の一番記憶に残ってるのが、第22回(1977年・昭和52年)
の有馬記念で鉄板レースと言われ、テンポイント、トウショウボーイの
一騎打ちムードのレースでした。

でも、僕には変な拘りがあったんです。
いや、当時の関西人の多くが、そうだったように思うんです。

それは関東には負けたくない
競馬界は東高西低の時代
野球でも東の巨人がいつも優勝、西の阪神は2位か3位
経済でも大阪ではだめ、東京へ進出する企業が続出してました。

ゲームや歌合戦でも東西対抗というのが多く、なんでも東が強かった。
僕は、捻くれてて、それがいやだったんです。
子供の好きな物は巨人、大鵬、卵焼きて言われる時代
それがいやだったんです。

それでも競馬の世界で、ついに最強の関西馬登場
東のトウショウボーイになんかに負けるな
関東に負けるな、そんな気持ちでいっぱいでした。
世相を現しており、競馬人気も凄かった時代でした。


4歳の春、皐月賞はトウショウボーイ1着、テンポイント2着と破れ
日本ダービーでも、テンポイントは沈み、トウショウボーイは2着
(でもこれは1着のクライムカイザーが内に大きくヨレタのが原因
   当時は降着制度がなく、そのままになってしまった)
敗れてもトウショウボーイは強い、やっぱり関西は関東に勝たれへんのか
そう思ったものです。
そんな状態が5歳の暮れまで続いたのです。

そしてテンポイント、トウショウボーイ5歳の有馬記念
テンポイントには鹿戸明、対するトウショーボーイには武邦彦
(武豊のお父さん)が騎乗、しかもトウショウボーイは引退レースでした。
ここで負けたら、テンポイントは一生2番手の馬で終わります。

そして有馬記念がスタート
トウショウボーイが先頭、テンポイントが2番手
淡々とレースが進みます。
第4コーナーを回って、さあ中山競馬場の直線に入りました
トウショウボーイが逃げる、逃げる
テンポイントが猛然と追い上げる。さあ並んだ
トウショウボーイが指し返す
そして、杉本清アナウンサーの名調子が唸ります

中山の直線を、中山の直線を流星が走りました、テンポイントです。
(テンポイントの顔には白い模様が流星のように綺麗だった)

遂にテンポイントがトウショウボーイを力でねじ伏せました。

勝った~、勝った~、関東にかった~
馬券は買わなかった、見るだけのレースでしたね

日本中が盛り上がったようでした。
テレビのニュースでも取り上げられてました。


そんなテンポイントを見たいというファンから要望が沢山寄せられ
翌年1月の日経新春杯に66kgを背負う事になりました。
本来、海外遠征の予定で日本のレースに出る必要も無かったのだけれど
ファンの要望に応えて、最後の勇姿を見せようと出場したんです。

僕は、エリモジョージという馬が同レースに参加することが気になった。
極端な走りをする馬で、福永洋一が騎乗するとめっぽう強かった。
レースが始まり、4コーナの手前、エリモジョージが被って来るような
感じになったとき、悲劇が起こったんです。

骨折!
普通、馬は複雑骨折すると予後不良で殺処分になる。

ファンから、殺さないで何とか助けて欲しい!
33名からなる獣医師団が結成され、治療にあたった。
しかし500kgを超えた馬体重は、350kgとも300kg
とも言われるくらい痩せ細り、天国に召されたのです。

テレビのニュースでも毎日のように報道されたテンポイントでした。
そんな事を思い出させる33年前の有馬記念でした。

ただ、昔も今も変わらないのは関西が沈んでいることだけ
経済の東高西低は変わりません。
変わったのは、僕も含めて人々の負けたくないと思う気持ちが
小さくなったように思います。

テーマ : 雑記 ジャンル : 日記

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