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2012.12.09 (Sun)

平清盛「幻の都」

今回を入れて、後3回になってしまいました。
最後の方の清盛は、傲慢で醜い姿で表現されてますが、実際はどうだったんでしょう

このドラマは清盛をクソミソに書いてる平家物語をベースに書いてますので
平家滅亡の主役は悪い清盛で無いと困るのです。

ここまで色々と事件がありましたが、子供達がやったミスも全て清盛が指示を出し、強引に
相手をやつけた様になってますが、実際は反対で尻拭きをやってた事もあったようです。
それでも清盛は、子供のミスを受け入れる度量があったのですね

どこかの偉いさんのように、身内のミスをトップの自分が責任とらず、無罪で喜んでる
人とはエライ違いです。
今度も当選するようですけどね・・・・さっぱり支持する人の考えが分かりません。


番組のあらすじはNHKのHPからご覧ください⇒

前回までの解説と新相関図はこちら⇒

前回の清盛が伊藤忠清を切ろうとしたとき、震えて出来なかったシーン
あれは実際どうか分かりませんが、清盛はこの4ヶ月後に病気で亡くなるのです。

という事は、相当病気は進んでたのでしょうから、あのような状態だったんでしょうね


清盛の強引な福原遷都に対し、平家の内部でも反対が沢山ありました。
それよりも清盛にとって、遷都を諦めざるを得なかった理由が二つあるのです。

一つは王家の問題
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福原の地が合わないのか、高倉上皇の病状は益々悪くなります。
天皇は2歳の安徳天皇のため、高倉上皇が院政を行ってるのですが
実質は清盛が実権を握ってる格好なんです。
もし高倉上皇が崩御すると、安徳天皇では政が行えないので、後白河法皇の
院政復活が強くなるのです。

そうなると、今度は後白河法皇が還都を行って京都で実権を握るでしょうから、福原
に移った平家としては困る事になるのです。


二つ目は、京の都の様子です。
頼朝は鎌倉を拠点に構えましたが、まだ京を支配するだけの力はありません。
ところが、南都の大衆は還都しなければ、比叡山や園城寺を攻め込んで、配下に
治めると騒ぎ出したのです。

なぜ南都の大衆は福原遷都に対して強行手段に出たのか
いろんな説がありますが僕が思うには、やはり公家達の参拝が減って収入が減り
経済基盤が守れなくなったのが本当の理由だと思うのです。
つまりこのままだと食っていけない・・・という事でしょう

昔も今も、綺麗事ではなく本音はこんな事だと思うのですよ

清盛に協力的だった比叡山も、平家から源氏に協力するようになってきており
この時代の政に重要な社寺が、平家の手中に治まらなくなったのです。

この様な事態になっていくなかで、清盛は仕方なく一旦還都を決断したのです。


そして都に戻った清盛が最初にやった事が、園城寺の処分と南都の僧を静める事でした。
清盛は藤原氏の書状を妹尾兼康に兵500を付けて、平和的解決の為向かわせたのですが

南都の大衆は書状を見ることも無く、60人もの兵を捕まえて首をはね、興福寺の猿沢の池に
首を並べたのです。

それに怒った清盛は、息子の重衡を大将とする兵を向け南都の大衆と戦います。
1日で決着がつかず、平家軍は夜営をしたのですが、誰かが間違って民家に火を付けたのです。

それが強風に煽られて、南都全体に広がり、一般民家や興福寺や東大寺までが焼けてしまったのです。
このことによって大勢の死者が出ました。
また仏像や社寺が焼けた事は、大変な罰当たりな事だったのです。
この事件を「南都焼き討ち」と言い、清盛の悪行の一つとして伝えられているのです。

重衡自信も大変な事になったと思い、清盛に報告するのですが
それを聞いた清盛は、重衡を怒る事も無く自分の責任だと思ったようでした。


この様子は今年の夏、奈良の国立博物館で行われた「頼朝と重源」で解説されていました。
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最初に展示室に入ると、平家による東大寺焼き討ちの様子を絵巻物で説明されていて
いかに平家が強引で無謀な集団かを説明しているのです。

それを助けて、東大寺再興と民に安堵を与えたのは後白河法皇だと・・・
坐像が展示されてました。

まさに勝てば官軍ですよね

大勢の方が来られて、見ていかれました。
清盛や平家はなんと悪い奴らで、後白河法皇はいい人やったんや・・・たぶん

知らない大勢の人は、そう思って帰ったでしょうね


勿論先に暴れ、平和的解決も無視して猿沢の池に先に首を並べた都合の悪い事は隠してね!



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07:13  |  平清盛解説&ゆかりの地  |  トラックバック(0)  |  コメント(2)  |  編集  |  Top↑

2012.12.02 (Sun)

平清盛「宿命の敗北」

いよいよ頼朝が立ち上がり、年老いた清盛、何かが狂ったのでしょう
誰もが知ってるように、平家は滅び源氏の時代になるのです。

頼朝は清盛を見て、自分の政治にどう活かしたのでしょう
この辺りは、よく分析して今の時代に活かさなければ、と思うのであります。


番組のあらすじはNHKのHPからご覧ください⇒

前回までの解説と新相関図はこちら⇒


頼朝の挙兵に対し、清盛は頼朝追討命令を出すのです。

その頼朝、このままじっとしていたら平家に殺される
だから頼朝としては戦うしか方法は無かったのです。

北条時政の力によって、平家方の山本兼隆を滅ぼしました。
その事によって伊豆を手中にし、更に勢力を伸ばすため三浦一族と合流するため
三浦半島に向かうのですが、その途中、石橋山で平家方と戦い圧倒的数の差で負
けてしまうのです。

この時の戦った相手方に熊谷直実が平家方として居るのです。
神戸で熊谷直実と言えば有名で、一の谷の合戦で平敦盛と一騎打ちをした武将
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須磨寺HPより・・・・自分で写真撮ったのが見つからず
なんで最後まで平家の味方してくれんかったん???・・・あははは

話が逸れましたが頼朝は負けた後、必死に山中を逃げ船で房総半島に到着します。
そこで上総、千葉を味方にし、北上して更に味方を拡大して行くのです。

ここは戦いで勝って拡大していくのではなく、反平家の源氏方が結集していったのでしょう。
それが出来たのは父・義朝が源氏棟梁として板東武者を束ねていたお陰で、その恩義で
短期間に勢力を整える事が出来たのです。

頼朝はこうして源氏が再び立ち上がれたのは、父・義朝あってのことと義朝を弔う為に
鎌倉に勝長寿院を建て、世話になった石清水八幡宮を勧請した鶴岡八幡宮を建てるのです。



一方の平家は強引な福原遷都に、慣れない高倉上皇は病に倒れ、周りはますます京の都に
帰る声が強くなるのですが、清盛は全く聞き入れません。

反平家は関東のみならず、九州、四国でも起き始めて平家としては何とかしないといけない
状況になって来ました。そんな中、清盛は孫の維盛、忠度らを大将とする大軍を送り、頼朝
討伐を行うのですが、その戦いが有名な富士川の戦いなんですね

まず、京で出発準備を整えようとしますが、なかなか上手く揃わず出発が遅れます。
そして途中で合流するはずの軍も、源氏方に阻まれ体制が整わず大戦となるのです。

その数、平家は2000騎、対する頼朝軍は40000騎と圧倒的な差
そして平家軍には食物が満足になく意気消沈、怯えてる状況でした。

平家軍には奇襲攻撃が得意だった源氏の姿が浮かび上がってくるのです。
そんな夜、富士川の水鳥が一斉にバタバタと飛び立ち、その音を源氏の奇襲攻撃と思った
平家軍は恐ろしさの余り逃げてしまい、戦わずして負けるのです。

そんな時でも清盛は、厳島神社へ参詣しており実情が把握出来てなかったのでしょう

清盛は帰ってきた維盛に激怒し、維盛を流罪、伊藤忠清を死罪に命じるのですが
平盛国に諌められてようやく思い留まったのです。
平家の棟梁でもある宗盛は、京へ戻るよう清盛と言い争い、結局清盛は福原を諦め
還都を仕方なく受け入れたのでした。


世論を無視した強引なやり方というのは、何時の時代も滅びるのですね



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09:40  |  平清盛解説&ゆかりの地  |  トラックバック(0)  |  コメント(2)  |  編集  |  Top↑

2012.11.25 (Sun)

平清盛「頼朝挙兵」

大河ドラマ、平清盛も今回が46回目で、後は残すところ今日を入れて5回となりました。
出版界はもう次の「八重の桜」にいってて清盛はもう終わってます・・・トホホ

皆さん、見たってね・・・後5回の辛抱ですわ


番組のあらすじはNHKのHPからご覧ください⇒

前回までの解説と新相関図はこちら⇒


本が出版されたのに、内容も確認せずに書いてるため、前回は説明が行き過ぎました。
でも平等院での話は余り出てこないようですから、ココではそんな裏話をお楽しみください。

先週のレビューですが、最後の方で女性が2人踊ってたのを覚えてられるでしょうか
あれは単に、清盛の浮かれた状態を表してるのじゃなく、祇王、妓女の話なのです。

清盛は女好きで、綺麗な女を見ると直ぐに引張ってきて囲ってたらしいです。
在る時、近江国(滋賀県)から出てきた母と娘2人、京で白拍子として今様を歌って
舞っていたらしいのですが、評判から清盛の前で披露し、大変気に入られたのです。

清盛は二人を西八条の別荘に囲って寵愛し毎日のように通っていたのですが、そこへ仏御前
という白拍子が現れて清盛の心は移ってしまうのです。
忘れられた祇王には屋敷も出て行けという風になってしまい、祇王、祇女は死のうとしたん
ですが、母親の刀自に説得されて、京の奥嵯峨の小さな庵で暮らしたのです。

それが京都・嵐山の奥嵯峨にある祇王寺というところ・・・先日行ってきました。
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小さな茅葺の小屋があって、趣のあるいいところです。

中の仏間には祇王の御仏が祭られています。
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庭にある、平清盛の供養塔と祇王、祇女、刀自の墓
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先週の話はこれ位にしまして、今週の話
以仁王の乱の結果、以仁王は殺され、源頼政は自害してしまいました。

天下の頂に立った清盛は、最後の仕事である武家の世を作る・・・という事に出ます。
昔からの習慣やしきたりばかりを重視する公卿、強訴で無理を押し付けてくる社寺
これらを排除し新しい武士の世を作るには、京都を離れる事が必要だったのでしょう
清盛は神戸の福原に移すことを実行するのです。
いわゆる福原遷都です。

安徳天皇、高倉上皇、後白河法皇を連れ三種の神器も持って、こそっと移ったのです。
これで都は福原に移ったと・・・・

コレには京の公卿や社寺は大反発しました。
まして、神戸の福原には京都のように平地が少なくて都が造れないのです。
隣の西宮方面の話も出ましたが、清盛は納得せず無理してこの福原の地に都づくりを
進めようとしたのでした。

このように都造りを迷ってるくらいですから、遷都といっても準備ができていないのです。
安徳天皇は平頼盛山荘に入りましたが、後白河法皇は教盛邸に入ったという説と、もうひとつ
清盛は京に続いて幽閉したという説があります。

その場所が、大輪田泊の直ぐ近くの薬仙寺にある「萱の御所」だったとも言われています。
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一方の源頼朝は、北条時政の援助によって源氏再興の挙兵を挙げるのです。
頼朝の相関図を出してみます。
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北条時政は平家の豪族です。
それが平家、いや平清盛を裏切って源氏に付いたのは、この時に平家衰退を
時政は感じ取ったのでしょうね

源頼朝挙兵に重要な人物は、ココには載ってないのですが文覚と言う人だと思うのです。
俗名は遠藤盛遠と言って、寺の再興を後白河法皇に強訴したため、流罪となり頼朝と同じ伊豆
に流されたのです。そこで頼朝と知り合い、文覚は義朝のしゃれこうべを頼朝の前に置いて奮
起させ平家打倒を勧めたのです。

ドラマでは北条政子が奮起させたようになってますが、実際はこの文覚の影響が大きかった
と思うのですがどうでしょう


頼朝が最初に攻めたのは、平家方の目代である山木判官兼隆でしたが、戦いは北条時政が
実際の指揮をとり戦ったようで、頼朝は数人の兵に守られながら遠くから見てただけという
のが実情だったらしいのです。
当然でしょうね、長い間監視されてる日々を送ってたのですから


今日はストーリーの説明がなくてゴメンネ、ごめんね~~~!



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06:47  |  平清盛解説&ゆかりの地  |  トラックバック(0)  |  コメント(4)  |  編集  |  Top↑

2012.11.18 (Sun)

平清盛「以仁王の令旨」

漸く平清盛の本、最後のが出て来ましたね
ちょっと遅すぎ、立ち読みで・・・・ゴメンネ!


番組のあらすじはNHKのHPからご覧ください⇒

前回までの解説と新相関図はこちら⇒

後白河法皇を鳥羽殿に幽閉し、高倉天皇に自分の孫、言仁親王(ときひと)の譲位を迫った結果
清盛は遂に、天皇の外祖父という地位を手に入れたのです。

この時、言仁親王は安徳天皇となり年齢は満1歳4ヶ月
当然、政は出来ないので摂政が必要になるのですが、清盛が藤原基房(後白河法皇寄り)から
清盛と関係が深い藤原基道にしていたので、思い道理に事が進めますし、また法皇にも政に口
を出さないと約束させたのです。

そうすると天下は神戸の福原に居る清盛のやりたい放題の世


清盛は上皇となった高倉上皇に対し、社参に厳島神社を勧めて決行します。
通常は京都の神社に社参するのが恒例で、他の神社では有り得なかったのですが、清盛が福原
遷都を前提に厳島神社の格を上げるため行ったのです。

しかし、コレには自分達の地位が下がる社寺が黙ってません
特に友好関係にあった比叡山も反発して、清盛は社寺や公卿を敵に回すことになるのです。

そうなると、たかが武士の分際でと反発が出てくるのは何時の世も一緒
特に天皇になれるはずだった人間は、同じように反発する仲間を見つけて行動する
それが後白河法皇の子、以仁王(もちひとおう)なんですね

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この以仁王と言う人は、二条天皇への譲位のときにも現れてましたね
この以仁王と一緒に反乱を起したのは、清盛の味方である源頼政(宇梶剛士)でした。

源という名でも、源頼朝や義経の河内源氏ではなく摂津源氏の方なので、これまでの
戦いには平家側に属して戦ってきたのです。
そのお陰で、三位の公卿にもなれたのですが、どこか不満があったのでしょう

以仁王はその源頼政を使って、全国に散らばってる源氏に団結して平氏を討てと
令旨(りょうじ・皇太子の命令のこと)を出すのです。

ところがこの事が途中でバレてしまい、以仁王は平家に追われ逃げ惑い、滋賀にある園城寺
に逃げ込みます。源頼政はこの時点では発覚していなくて、平家の追手に加わってましたが
園城寺に入り込み以仁王を守りながら一緒に逃げるのです。

そして奈良の南都興福寺を目指しますが、途中で以仁王が疲れてしまい休憩したのが
この宇治の平等院なんですね

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季節が春ですが、そこはお許しを!

ここに「扇の芝」ってところがあります。
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この下の写真の左側になりますが、源頼政は平家に対抗したんですが圧倒的な数の違いで覚悟
を決め、この芝の中で自害したとされている所なんですね、年齢は77歳だったそうです。
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この写真は今年の4月に行って撮影したんですが、この夏の水害で被害を受けたもようで
どうなってるのでしょう、気になります。


一方の日本中の源氏は税の徴収で苦しんでいたところで、この令旨を受けて打倒平家と
纏まっていくのです。
頼朝はどう源氏を纏めていったのでしょうね



ところでドラマ最後の方で流れるピアノの曲、寺井尚子でどうぞ⇒



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2012.11.11 (Sun)

平清盛「そこからの眺め」

平清盛と言う人物は、どういう人だったのか
この辺で少し見えてきましたよ

自分のやりたい事は突き進んでいくが、家族には弱い!

母親の池の禅尼に頼まれて、源頼朝の命を助けた事
重盛に懇願されて、後白河法皇を手の中に入れる事を諦めた事

この二つは平家存続に致命的影響を与えました。

一方の源頼朝、唯一の兄弟の義経を殺してしまいました。
危機管理は頼朝の方が上だったといえば、そうかもしれないのですが・・・・


番組のあらすじはNHKのHPからご覧ください⇒

前回までの解説と新相関図はこちら⇒



鹿ケ谷の陰謀により、後白河法皇の側近は尽く清盛によって殺され
そして清盛の娘、徳子に待望の男の子の言仁親王(ときひと)が誕生します。

清盛は後白河法皇に対し言仁親王を皇太子として認めさせ、その後見人を平家一族で固め
夢である、天皇家の一族になって平家の世を作る、という事が現実の物となったのです。

ところが翌年の治承3年、一転して不幸が舞い込んできます。
摂関家の藤原基実に嫁いだ盛子が亡くなり、その後に清盛を支えてきた平家の棟梁・重盛
も病のため亡くなってしまいます。

そうすると後白河法皇は、チャンスとばかり反撃に出ました。
この図は二条天皇が亡くなった時の勢力図ですが、それに書き加えてみました。
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基実が亡くなったことで引き継いだ藤原家の財産を没収、更に重盛の持ってた知行国(収益を
得る権利のある国)も取り上げたのです。

そして後白河法皇は権中納言という地位に、盛子の夫の子で20歳の藤原基通では無く、後白河
法皇に近い藤原基房の子で8才の師家を任命したのです。

これで清盛の面目は丸潰れ、怒り心頭となりました。
何時もなら、ここで重盛が抑えるのですが、亡くなってて抑える人が居ません。


清盛は数千騎の兵を持って京に上洛し、いつでも戦える体制を布き、今度は後白河法皇に対抗して
藤原基房、師家を解任し、関白に藤原基通を据え、その他の重要ポストにも大量の平家に入れ替え
知行国も強制的に平家としたのです。
清盛にすれば預かりの領地ではなく、平家が直々に国を治めるのじゃ、と言うところでしょうか


更に清盛は後白河法皇を鳥羽殿に幽閉し、今後一切、政治には口を出さないと約束させたのでした。
「そこからの眺め」とは後白河法皇が幽閉された状態の事を言ってると思ったのですが・・・??


一方、源頼朝は義経と合流し体制が整ってきます。
最初の戦いは、もう直ぐじゃないでしょうか



ところでドラマ最後の方で流れるピアノの曲、寺井尚子でどうぞ⇒



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